「何よ、会うくらいいいじゃない」
ボソリと呟く。
机の上には、家庭教師から出された数学の問題が広げられている。だが、解く気にはなれない。
「自分が迷惑を被る事になるだけだぜ」
「そんな事にはならないよ」
口に出して言ってみる。だが、なんとなく胸のどこかに後ろめたいものを感じるのはなぜだろう?
「お前こそ、なんでそこまでムキになるんだ?」
そんなに、ムキになってるのかな?
自分と聡が噂になっていると聞いた時には本当にびっくりした。二人は同級生だ。教室内で会話を交わすくらいなんでもない事だろうと思っていた。
噂になるほど、自分達は話し込んでいたのだろうか? そんなにいつもいつも話していただろうか?
駅舎で聞かされ、そこで初めて思い返してみた。
考えてみれば、そうだったようにも思える。言われてみると、ここ数日、休み時間のたびに、自分は金本聡に声を掛けていたように思う。
少し、異常だっただろうか? どうして自分はそこまで?
胸の隅がチクリと痛い。
シロちゃんの為になりたいと思っているだけ。そもそも金本くんの事だけじゃない。美鶴とシロちゃんを会わせてあげたいとも思っているし。
だがツバサは、いまだにその願いを叶えてやってはいない。美鶴の住所を教えて欲しいと言われているのに、知らせる事ができないでいる。
だって、美鶴からOKの返事はもらってないし。美鶴、いっつも曖昧な返事しかしないから。シロちゃんとの事、まだ気にしているみたいだし、美鶴だって、ちゃんと気持ちの整理をしてから会いたいんだろうし。
だが、ひょっとしてツバサがもっと強引に迫れば、ひょっとしたらしぶしぶではあったとしても、美鶴は里奈に会うのではないか。ツバサは心のどこかでそう思ってもいる。
自分がもっと強く押してみれば。
そう考えるという事は、逆を言えば、それほど強引に二人を会わせようとはしていないという事にもなる。
だって、関係の無い自分が無理矢理に会わせようとなんてしたら、かえって二人の仲がもっと悪くなるかもしれない。
だったらなぜ、金本聡とはこれほどまでに会わせようとしているのか。クラス内で噂になってしまうほどに。
大きく息を吐いてシャーペンを机の上に放り投げた。
駅舎からの帰り道、ツバサは蔦に電話した。塾の授業中だったので留守電に入れておいた。折り返しかかってきた電話では、それほど怒ってもいなかった。誤解はすぐに解けた。里奈の名前を出したら、曖昧に笑った。
「田代さんも相変わらず律儀だね」
その言葉が、なぜだかツバサの胸に残った。
別に、気にする事ないじゃん。
なのにどこかで気にしている。
立ち上がり、窓辺から空を見上げる。
シロちゃんに彼氏でもできればいいのに。
瞬間、強くカーテンを握り締める。
相変わらず自分は醜い。琵琶湖を眺めながら美鶴を相手に吐き出したはずの自分の汚い部分が、まだ身体のどこかに沈殿しているような気がする。
あの時は本気で思った。もっと純粋な気持ちでコウを想う事ができたらいいのに。そうなりたい。きっとそうなる。なってみせる。
だが時間が経つにつれて、やはり自分には無理なのかといった消極的な考えが頭を過ぎる。
やはり自分は、兄のようにはなれないのか。
口数は多くはないが毅然とした思いを胸に秘めていた兄。純粋に、何の下心もなく織笠鈴を想っていた兄は、今はどこにいるのかはわからない。
会ったところでどうにかなるとは思えないけれど。
小さい頃は疎ましく思っていた兄。それは兄の方も知っていたであろう。なのに、聡明な兄ならば広い心をもって自分の悩みを解決へと導いてくれるのかもそれない。そんなふうに考えてしまう自分がなんとも情けなく、やはり醜いのだと自虐してしまう。
ただ単に、誰かに聞いてもらいたいだけなのかな?
琵琶湖を眺めながら吐露した時に感じた清々しさ。
空を見上げて少し考え、後ろを振り返った。チェストの上に置いてある携帯を手にとり、しばらく思案した後、ゆっくりと操作した。
「は?」
美鶴は間抜けた声を出し、慌てて左手で口を押さえる。自宅に一人。机に向って勉強中。周囲を気にする必要はないのだが、それでも今のは大きかった。
「なんで私が?」
「だって」
携帯の向こうでツバサは頭を掻く。
「金本くん、美鶴の言うことなら何でも聞いてくれそうだし」
ふざけんなっ という聡の怒鳴り声が聞こえてきそうだ。
美鶴は一瞬上目遣いで肩を竦め、次には小さくため息を吐いた。
「いくら聡でも、そこまで馬鹿じゃないと思う」
「今、さりげなく金本くんを馬鹿にしたように思う」
「かもね」
さらりと肯定する美鶴に、ツバサは思わず噴出した。
「さすがに無条件でってワケにはいかないだろうけど、私が頼むより聞いてくれそうな気がする。私が相手だと話も聞いてくれないから」
「誰が言ったって同じだと思う。それに、無条件じゃ無理だとしたら、どんな条件をつけるんだ?」
「デート一回」
「誰がするんだ?」
「美鶴」
思わず携帯を睨めつける。
「ツバサ、まさか冗談だよね?」
「本気って言ったら怒る?」
「今すぐ電話切る」
「ごめん、嘘だよ」
慌てて謝る。
なぜだろう。美鶴とだと気兼ねなく話せる。事情を知っている相手だからだろうか? それとも女同士だからか? それとも、どことなく似ているから?
どこが?
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